物語の書き出し・クライマックス「のみ」を365本書いてみようという試み
安物の絵の具を溶いてぶちまけたような空が一面に広がっている。
晴れているとも曇っているとも言い切れない、どうにも微妙な色の青空だ。
「やあ、やっぱりここにいたんだ」
はしごから顔をのぞかせているのは、クラス委員の牧村志乃(まきむら しの)だった。
「今日は学校に来ているんだ。感心感心」
「普通は授業をサボったりしてはだめとか言うもんだと思うけど?」
「お約束だね。よっと!」
志乃ははしごを登り切って、公司(こうし)が寝転がっている貯水タンクの上に腰を下ろした。はしごをまたぐ時にスカートがまくれあがって下着が見えかけたが、彼女はまるで気にしていないようだった。
「うん、いい景色。なんか大声で叫びたくなるね」
「心の底にたまった鬱憤でもぶちまけてみる?」
「青春だね」
「かもね」
志乃がくすりと笑った。
「今日はね、君にさようならを言いに来たんだ」
「さよなら?」
公司は起き上がって志乃の顔を見つめた。
「病気が再発してね。もう二年も留年しているし、今度も治療は長引きそうだから、思い切って退学することにした」
志乃は、どこか寂しそうに微笑んでいる。
「明日から入院だ。だから、君とは今日でお別れ。もしかすると、今生のお別れになるかもしれない」
「そんなに悪いの?」
公司は動揺を抑えきれず、志乃に向かって訊いた。
「なにしろ珍しい病気だからね。私は半分、モルモットみたいなものだ。根治しないとわかっているし、三十まで生きた例はない」
「なら、その最初の例になればいい」
「それは君の希望かな?」
「僕から志乃さんへの、お願い」
「じゃあ、私からも君にお願いをしていいかな」
志乃は公司の手を握って言った。
「私の代わりに、クラス委員になってくれないか。任期半ばで職務を放り出すのは癪だが、なにしろ緊急事態なものでね」
彼女の冷たい手を握り返して、公司は言った。
「志乃さんのお願いだから」
「それはオーケーとみなしていいのかな?」
「わかっているくせに」
公司は志乃の手を引き寄せ、彼女の唇に自分のそれを重ね合わせた。
晴れているとも曇っているとも言い切れない、どうにも微妙な色の青空だ。
「やあ、やっぱりここにいたんだ」
はしごから顔をのぞかせているのは、クラス委員の牧村志乃(まきむら しの)だった。
「今日は学校に来ているんだ。感心感心」
「普通は授業をサボったりしてはだめとか言うもんだと思うけど?」
「お約束だね。よっと!」
志乃ははしごを登り切って、公司(こうし)が寝転がっている貯水タンクの上に腰を下ろした。はしごをまたぐ時にスカートがまくれあがって下着が見えかけたが、彼女はまるで気にしていないようだった。
「うん、いい景色。なんか大声で叫びたくなるね」
「心の底にたまった鬱憤でもぶちまけてみる?」
「青春だね」
「かもね」
志乃がくすりと笑った。
「今日はね、君にさようならを言いに来たんだ」
「さよなら?」
公司は起き上がって志乃の顔を見つめた。
「病気が再発してね。もう二年も留年しているし、今度も治療は長引きそうだから、思い切って退学することにした」
志乃は、どこか寂しそうに微笑んでいる。
「明日から入院だ。だから、君とは今日でお別れ。もしかすると、今生のお別れになるかもしれない」
「そんなに悪いの?」
公司は動揺を抑えきれず、志乃に向かって訊いた。
「なにしろ珍しい病気だからね。私は半分、モルモットみたいなものだ。根治しないとわかっているし、三十まで生きた例はない」
「なら、その最初の例になればいい」
「それは君の希望かな?」
「僕から志乃さんへの、お願い」
「じゃあ、私からも君にお願いをしていいかな」
志乃は公司の手を握って言った。
「私の代わりに、クラス委員になってくれないか。任期半ばで職務を放り出すのは癪だが、なにしろ緊急事態なものでね」
彼女の冷たい手を握り返して、公司は言った。
「志乃さんのお願いだから」
「それはオーケーとみなしていいのかな?」
「わかっているくせに」
公司は志乃の手を引き寄せ、彼女の唇に自分のそれを重ね合わせた。
「今日のお機嫌はどうかでしょうね?」
柔らかな言葉と共に、アーリールが部屋に入ってきた。
「まあまあかな」
「とは、いかがなのでしょう? 意味がわからないで不明なのでございましょう」
俺は苦笑いして言った。
「悪くはないけど、最高でもない。普通ということだよ」
「ははあ。古代日本語は理解難しいのところでありやがりましょうねえ」
アーリールは真面目な顔をして俺の言葉を聞く。
アーリールは人間ではない。人造人間、いわゆるサイボーグというやつだ。生体と機械が見事に融合した、俺の目からすれば奇蹟のような機械工学の傑作だ。
そのアーリールが俺の意識を呼び出して、この人工の肉体に宿したのだ。
俺が生きていた時代からは、三千年あまりが過ぎている。
地球からは多くの人間が宇宙へ飛び立ち、その後は地球とほとんど連絡をとることもないという。全滅したのか、それとも生活をするので精一杯なのか。
現在の地球の正確な人口は不明だ。アーリールの説明によれば、三百万人を越えることはないだろうとのことだ。
この研究所の近くにも都市はあるが、まるで日本とも思えない奇妙な文字が並ぶ、日本を勘違いして作った外国映画のような世界が広がっていた。言葉も、ところどころはなんとか推測が可能だが、もはやそれは日本語とは言えない変化をしていた。
アーリールはもともと、人間の学者に従えていた。その助手だったらしい。
だが、彼が死んで、アーリールは放逐された。
そこでアーリールは、かつての師の研究――古代日本の文明研究を引き継いだというわけだ。
文明が頂点に達したのは今から千二百年ほど前で、それからは衰退の一途をたどっているという。アーリールと同じサイボーグを作ることは可能だが、原理はもはやわからない。あと数百年もすれば、サイボーグ自体もこの世から消え去るだろうという。
俺は死んだはずだった。
何もかもに絶望し、林の中で首を吊ったのだ。
息が詰まり苦しいと思う間もなく視界が急速に暗くなり、身体中の力が抜けた。なぜか一瞬、気持ちがいいとすら感じた。
そして気がつくと、部屋の中で寝ていたのだ。
「お目がつきまして、おめでとうございました」
アーリールの第一声はこれだった。
柔らかな言葉と共に、アーリールが部屋に入ってきた。
「まあまあかな」
「とは、いかがなのでしょう? 意味がわからないで不明なのでございましょう」
俺は苦笑いして言った。
「悪くはないけど、最高でもない。普通ということだよ」
「ははあ。古代日本語は理解難しいのところでありやがりましょうねえ」
アーリールは真面目な顔をして俺の言葉を聞く。
アーリールは人間ではない。人造人間、いわゆるサイボーグというやつだ。生体と機械が見事に融合した、俺の目からすれば奇蹟のような機械工学の傑作だ。
そのアーリールが俺の意識を呼び出して、この人工の肉体に宿したのだ。
俺が生きていた時代からは、三千年あまりが過ぎている。
地球からは多くの人間が宇宙へ飛び立ち、その後は地球とほとんど連絡をとることもないという。全滅したのか、それとも生活をするので精一杯なのか。
現在の地球の正確な人口は不明だ。アーリールの説明によれば、三百万人を越えることはないだろうとのことだ。
この研究所の近くにも都市はあるが、まるで日本とも思えない奇妙な文字が並ぶ、日本を勘違いして作った外国映画のような世界が広がっていた。言葉も、ところどころはなんとか推測が可能だが、もはやそれは日本語とは言えない変化をしていた。
アーリールはもともと、人間の学者に従えていた。その助手だったらしい。
だが、彼が死んで、アーリールは放逐された。
そこでアーリールは、かつての師の研究――古代日本の文明研究を引き継いだというわけだ。
文明が頂点に達したのは今から千二百年ほど前で、それからは衰退の一途をたどっているという。アーリールと同じサイボーグを作ることは可能だが、原理はもはやわからない。あと数百年もすれば、サイボーグ自体もこの世から消え去るだろうという。
俺は死んだはずだった。
何もかもに絶望し、林の中で首を吊ったのだ。
息が詰まり苦しいと思う間もなく視界が急速に暗くなり、身体中の力が抜けた。なぜか一瞬、気持ちがいいとすら感じた。
そして気がつくと、部屋の中で寝ていたのだ。
「お目がつきまして、おめでとうございました」
アーリールの第一声はこれだった。
ヨークは奴隷だった。
生まれながらの奴隷だった。
彼女の母親は、今のヨークの年くらいまでは何の不自由もない暮らしを送っていた裕福な商家の娘だったという。
だが、十六年前に起きたレードウェイの乱によって祖国は滅び、民は全て他国の奴隷とされたというように、ヨークは聞いている。
「わしらは恵まれているのさ。優しい旦那様に恵まれ、食うものにも困らず、寒さに震えることもない」
奴隷をまとめるヤック爺は、そう言う。彼もまた奴隷だ。ただし、ちょっとだけ待遇がいい。
だが、年端もいかぬ娘を犯して妊娠させるというのはどうだろうとヨークは思う。ヨークを生むときに、彼女は死んだ。だからヨークは母の顔を知らない。
父親は屋敷の主人だが、ヨークの身分は奴隷だ。
奴隷の子は奴隷と決められている。鑑札を発行してもらえない奴隷は、どこに逃げても人として扱ってもらえない。逃げてもむだだ。つけあがらぬよう、殺さぬよう縛り付ける手腕が上流社会人の嗜みとされている。だからヨークも、奴隷としての扱いしか受けられないでいる。
しかし、一人だけヨークを一人の人間として扱ってくれる人がいた。
この屋敷の主人の妻、エレベールである。
彼女は体が弱く、跡取り息子を一人生んだのみで、その後は子宝を授かることはなかった。だから、夫の子であるヨークをまるで自分の娘のように思ってくれている。部屋付きの侍女として側に置き、様々なことを教えてくれた。
彼女のおかげで、ヨークは文字を読み書きし、本を読むことができた。針仕事をおぼえ、料理や庭仕事を自分の目で見て知り、様々な国から集まっている奴隷達の昔話に耳を傾けた。主人が見栄のために買い揃え、そのまま飾ってあった無数の本を彼女は時間が許す限り読みあさった。
屋敷の主人がヨークの美貌に気がつく頃には、彼の誘いを言葉巧みに言い逃れるだけの言葉を知り、エレベールのもとへと逃れるだけの知性を身につけていた。
近親相姦という言葉を、彼女は知っていたのだ。
いつしかヨークは、奴隷でありながら跡取り息子よりも優れた知性を持つ、一人前のレディーになっていたのである。
生まれながらの奴隷だった。
彼女の母親は、今のヨークの年くらいまでは何の不自由もない暮らしを送っていた裕福な商家の娘だったという。
だが、十六年前に起きたレードウェイの乱によって祖国は滅び、民は全て他国の奴隷とされたというように、ヨークは聞いている。
「わしらは恵まれているのさ。優しい旦那様に恵まれ、食うものにも困らず、寒さに震えることもない」
奴隷をまとめるヤック爺は、そう言う。彼もまた奴隷だ。ただし、ちょっとだけ待遇がいい。
だが、年端もいかぬ娘を犯して妊娠させるというのはどうだろうとヨークは思う。ヨークを生むときに、彼女は死んだ。だからヨークは母の顔を知らない。
父親は屋敷の主人だが、ヨークの身分は奴隷だ。
奴隷の子は奴隷と決められている。鑑札を発行してもらえない奴隷は、どこに逃げても人として扱ってもらえない。逃げてもむだだ。つけあがらぬよう、殺さぬよう縛り付ける手腕が上流社会人の嗜みとされている。だからヨークも、奴隷としての扱いしか受けられないでいる。
しかし、一人だけヨークを一人の人間として扱ってくれる人がいた。
この屋敷の主人の妻、エレベールである。
彼女は体が弱く、跡取り息子を一人生んだのみで、その後は子宝を授かることはなかった。だから、夫の子であるヨークをまるで自分の娘のように思ってくれている。部屋付きの侍女として側に置き、様々なことを教えてくれた。
彼女のおかげで、ヨークは文字を読み書きし、本を読むことができた。針仕事をおぼえ、料理や庭仕事を自分の目で見て知り、様々な国から集まっている奴隷達の昔話に耳を傾けた。主人が見栄のために買い揃え、そのまま飾ってあった無数の本を彼女は時間が許す限り読みあさった。
屋敷の主人がヨークの美貌に気がつく頃には、彼の誘いを言葉巧みに言い逃れるだけの言葉を知り、エレベールのもとへと逃れるだけの知性を身につけていた。
近親相姦という言葉を、彼女は知っていたのだ。
いつしかヨークは、奴隷でありながら跡取り息子よりも優れた知性を持つ、一人前のレディーになっていたのである。
かなみは魚を嫌いだと言った。
「だって、死体を焼いて食べるのよ? 信じられないわ」
そのくせに、切り身の魚は平気だ。現に今目の前で、しゃけの切り身をほぐしてぱくぱくと食べている。
彼女の言行不一致はいつものことだったが、なんとなく気になったので聞いてみることにした。
「じゃあ、焼き肉もダメ?」
「火葬場で焼いている気分になるわね」
「……弁当を食っているときに相応しい言葉じゃないと思うな」
「別に平気だけど?」
きっと彼女の神経はブリキでできているに違いない。鋼と言うほど強靱ではないことを僕は知っているし、金や銀だと思えるほど繊細な代物でもないことは今の言葉からも明らかだ。
「とにかくね。あの恨めしそうな目で見つめられると、やめて! あたしが悪かったわって気分になっちゃうの。それがどんどん白くなって濁っていくのを見ると、あたしの目まで白くなるんじゃないかと鏡を見て確かめたくなるの」
「そんなにずっと見つめなきゃいいじゃないか」
と僕が言うと、
「だって、魚はすぐ焦げるのよ?」
と答える。火加減という言葉を彼女は知らないようだ。
「全力全開、さっと焼き上げるのが料理ってものでしょう」
彼女はそう言うけれど、どこかピントがずれている。
とんびが、ぴーひょろろと鳴き声をあげながら、くるりと輪を描いた。
「いい天気ね」
「いい天気だね」
僕たちは、こんな日々がずっと続くものだと思っていた。
「だって、死体を焼いて食べるのよ? 信じられないわ」
そのくせに、切り身の魚は平気だ。現に今目の前で、しゃけの切り身をほぐしてぱくぱくと食べている。
彼女の言行不一致はいつものことだったが、なんとなく気になったので聞いてみることにした。
「じゃあ、焼き肉もダメ?」
「火葬場で焼いている気分になるわね」
「……弁当を食っているときに相応しい言葉じゃないと思うな」
「別に平気だけど?」
きっと彼女の神経はブリキでできているに違いない。鋼と言うほど強靱ではないことを僕は知っているし、金や銀だと思えるほど繊細な代物でもないことは今の言葉からも明らかだ。
「とにかくね。あの恨めしそうな目で見つめられると、やめて! あたしが悪かったわって気分になっちゃうの。それがどんどん白くなって濁っていくのを見ると、あたしの目まで白くなるんじゃないかと鏡を見て確かめたくなるの」
「そんなにずっと見つめなきゃいいじゃないか」
と僕が言うと、
「だって、魚はすぐ焦げるのよ?」
と答える。火加減という言葉を彼女は知らないようだ。
「全力全開、さっと焼き上げるのが料理ってものでしょう」
彼女はそう言うけれど、どこかピントがずれている。
とんびが、ぴーひょろろと鳴き声をあげながら、くるりと輪を描いた。
「いい天気ね」
「いい天気だね」
僕たちは、こんな日々がずっと続くものだと思っていた。